身体が求めるもの。突然トマトが食べたくなったり炭酸飲料が欲しくなったりする。そういう時は可能な限り我慢しない。
雪が降り出した小樽の景色を眺めていたら、突然ショスタコーヴィチが聴きたくなった。クラシックを聴きたくなることが年に数度あるけれど、作曲家指定で思いついたのは初めてだった。とりあえず検索して出てきたものを聴いているうちに、ふと子どもの頃の冬の記憶が蘇ってきた。暗くなっても夢中でそり遊びをして叱られた日。楽しさと寂しさは裏表であることを知った日。ぼくの身体が求めていたのは、その記憶の再生だった。
2月1日 10,620歩
プロ野球のキャンプの様子を配信で見ていた。そのあと夕方にはH3ロケットの打上げ中継を見ていた。どちらもその画面の中に雪は見えない。窓の外を見るとひたすら白い世界。
飛んで行くものを見るのは気持ちが良い。ホームランはやはり野球の華であるし、ロケットが空に消えてゆく様子にはロマンがある。窓の外に目を向けるとそこに見える空はただやわらかい顔をしているだけだった。そんな空を見ていると明日も生きていくことができると思える。仮に生きられなかったら空に消えてゆくことになるけれど、それはそれでロマン溢れる出来事に違いない。
2月2日 10,243歩
札幌は雪まつりの時期を迎える。駅はたくさんの人で溢れかえっている。非日常を過ごす観光客と日常を過ごすぼくが同じエスカレーターで運ばれている。同じ場所にいても見える景色は違うのだろう。
できることなら逃れたいとぼくが思っている環境を求めて彼らはやって来ている。今年の冬は暖かく感じているけれど、彼らはどう感じるのだろう。日本人向けに辛さを抑えたエスニック料理みたいだな、とふと思った。それはぼくにとっても少しだけ優しい冬だった。
2月3日 11,628歩
冷え込んだ朝の電車。架線とパンタグラフの間に火花が飛ぶ。バチバチと激しい音を鳴らしながら。それが電車の怒りに思えてしまい、申し訳ない気持ちで電車に乗る。そういえばぼくだってこの電車に乗りたくて乗るんじゃないのになとか思いながら。それでもぼくは仕事に向かうし、電車は走る。どうすることもできないレールの上を走っている。
2月4日 11,732歩
自由律俳句や川柳を書いていた。三年くらい前まで約十年間、世界をどのように切り取るか考えていた。切り取られた世界で普遍的ななにかを表現する。それは盆栽が風景を生み出すのに似ていた。
でも、この世界はすべて繋がっていてしかも対比で表現されていると感じるようになって、切り取ることが怖くなった。はさみを名乗っておきながら、切れないはさみになってしまった。
2月5日 13,357歩
金星が怖い。枝の陰からぼくを凝視している。なにを怒っているのだろう。だれもいない赤信号を渡ってしまったこと以外悪いことはしていないはずなのに。
金 星に凝視されてぼくは、いままでついてきた嘘を思い起こしていた。そのほとんどは自分自身に向けてのものだった。ぼくはぼくに謝った。金星は沈んでいた。
2月6日 12,188歩
ぼくたちは1秒ちょっと前の月を見ている。金星は8分前、木星は30〜40分前。惑星以外の星になると、ぼくの元に辿り着くまでとてつもない時間をかけている。そして、星はその光を受け取っている人のことを知らない。
ぼくのことばはどれだけの時間をかけてあなたに届くのだろう。受け止めてくれたあなたが、そのことばであなただけの星座を紡いでくれていたとしたら、こんなに嬉しいことはない。
2月7日 11,420歩
雪が降らなければいい。歩きにくいし雪かきは身体に堪える。車も滑りやすくなる。だから冬になるたびそう願っている。
この冬、一月下旬まで降雪量が少なめだった。雪かきから解放され車の運転も快適だった。歩道の雪は溶けずに固まっていたから歩くのは快適ではなかったけれど、やはり雪は降らない方がいい。このままだと春は早めにやってくる。少しのさみしさと物足りなさは、きっとそのあとで気づくはずだ。
2月8日 10,488歩
空に一番近い場所なのに、決して空を飛ぶことはない。いつも飛び立つ者を見送って、いつまでも空から帰る者を待ち続ける。
滑走路にあるタイヤの跡を見るたび、蹴られる重みこそが彼の誇りなのだろうと考える。尊敬と憧れを感じながら、でもぼくは自身の衝動を抑えることはできないことも知っている。
2月9日 13,069歩
ぼくだけの朝を探している。それは無味無臭で尖ったところがない。見つけにくいに違いない。時計をみつめても朝に気づくことがない。朝の正体は空間だから、待てばやってくるものでもない。ぼくは歩き続けるしかしかたない。いつか朝にたどり着いた時、ぼくはその軽さに耐えられないかもしれない。それでも、ぼくだけの朝を探している。雑踏へと運ぶ電車に乗って。
2月10日 10,290歩
雪が降り止まない。蓄積された苦言を浴びているみたいに。うしろめたさを目がけて次から次へと落ちてくる。反省する間も与えてはくれない。じっと耐え、この時間も永遠ではないと言い聞かせて、相槌を打つように雪かきしつづけるしかない。
やがて雲の合間から月が顔を出した。しょうがないなあという顔をしていた。
2月11日 15,128歩
除雪車が作り出した雪山の陰からきつねが出てきて鉢合わせになった。ほんの数秒見つめあった後きつねは去っていった。数秒の間にきつねの生活の厳しさを案じ、一方で衛生的な懸念も考えていた。
きつねはなにを考えていたのだろう。その目に強い警戒は感じなかったけれど、かといって近づいてくる気配もなかった。彼は彼でぼくのことを案じてくれていたのかもしれない。お互い生きていてよかったね。こんな感情になるのは、きっと冬のせいだ。
2月12日 11,902歩
冬になると近所の公園にクロスカントリースキーのコースができる。かつてはぼくも何度か滑ったことがある。コースには競技者と思われるような本格派もいたりするから、ぼくは夜暗くなってからひとり滑っていた。
雪が敷き詰められた音もない公園に月光が滴り落ちる。自分の呼吸だけが宇宙に満ちてゆく。滑るのが下手だから歩くよりはるかに消耗する。流れ落ちる汗が雪に落ちて結晶になる。ぼくがこの宇宙を造っていると思えてしまうくらいには、冬夜の公園はきらきらしていた。
2月13日 12,221歩
風が吹いている。いかにも真冬らしい厳しい風が吹いている。その風に吹かれていると体温を奪われ気を失いそうになるけれど、生きているという実感が湧いてくる。風に逆らって生きている。逆らえなくなった時が人生の終着なのだろう。
ぼくに向かっていろんな風が吹いている。それらはだいたい逆風だ。気力が奪われ生きた心地はしない。そのまま風になってしまいたいと思うけど、もしぼくが風になるのなら追い風がいい。このまま飛ばされるわけにはいかない。
2月14日 11,258歩
歳をとると時間の流れが速くなる。さまざまな理由でそう感じているだけだと思っていたけれど、時間のスピードは本当に人によって違うのではないかと思うようになってきた。一日を注意深く過ごしても、やはりその一日は足速に過ぎていく。
人生の終焉に向かって時のスピードは加速度を増し、ついにはスピード自体を失って永遠になるという算段なのだろう。だから焦ることはない。思考も歩くこともそのスピードは徐々に遅くなっている。焦って大切ななにかに気付けなくならないように、時が転がるのをただ味わえば良い。
2月15日 10,073歩
道端に手袋が片方だけ落ちているのを見るとかわいそうに思う。てぶくろはどんな気持ちで風雪を耐えているんだろうと考える。常識的に考えればてぶくろに感情などないはずなのに、その気持ちを慮ってしまう。
感情や意識とはどう定義されるものなのかわからないけれど、てぶくろには本当に感情はないのだろうか。ないのであれば、ぼくのこの感情はどうして生ずるのだろう。
2月16日 10,910歩
春が近づいている。ぼくたちはふつう五感で変化を知る。姿もなく音も匂いも味もなく触れることもできない。それでも春は近づいている。そう感じている。ほんの小さな変化を、たとえば積もった雪の表面の目が少しずつ粗くなってゆく、そんな変化を感じることで春を感じているような気がする。
ほんの小さな変化に気づく。あの時それに気づけたら良かったのにという過去がある。それはいつまでも消えない傷として。
2月17日 11,268歩
空を見上げる。何かを探して見上げるときがある。雲だったり飛行機だったり、流れ星や人工衛星を見つけることもある。まだ暮れきっていない空を横切る国際宇宙ステーションを何分も見上げ続けることもある。
だけど、何もない空を見上げ続けることもある。何かを探さない。探さなければ何もない。探さなければこころが乱れることもない。何かが溢れそうになるから、空を見上げる。
2月18日 11,303歩
死とは本当の自分に帰ることなのかもしれない。ひとは生まれるとすぐに、名前とか属性とかを背負うことになる。役割を演じる必要に迫られ、歳を重ねることにそれは増えてゆく。難易度は人によって違うかもしれないけど、逃れられないことには違いない。そこから解き放たれもともとの自分そのものに戻ることが死ということなのだろうか。
つば九郎の”支えてきた社員スタッフ”の訃報にふれてそんなことを考えていた。大きなものを遺した彼は、今ごろは本当の自由を飛んでいるのだろう。そうであって欲しいと願う。
2月19日 13,322歩
日々、夜が痩せている。目覚めてから空が明るくなり始めるまでの時間が短くなっていることを体感している。深い静寂のなかでコーヒーを飲んだり思索したり。思索というよりは自分のこころを観察すると言ったほうが近いかもしれないけど、そんな時間が好きだ。
この静寂は雪が音を吸収することによって得られている。冬は寒くて雪も厄介ものだけど、もうすぐこの時間がなくなってしまうことに寂しさも感じる。冬は嫌いと言い続けているけれど、でもどこかで冬を大切に思っている自分がいることに、本当は気づいている。
2月20日 10,482歩
二十四節気のなかでは雨水が好きだ。雪から雨に変わる頃という意味らしいけれど当地ではこの時期に雨が降ることはほとんどなく、もう少し雪の季節は続く。それでもこの先の未来を表しているようで、ハロウィン直後に飾られたクリスマスツリーのような先取り感がある。
季節は確実に巡ってくるけれど、そこには何かしらの予感が添付されているように思う。特にこの季節。変化に対する感情は様々な色をしている。絵具を全色混ぜると暗い色になってしまうから、できれば混ぜないように、まぜないように。
2月21日 11,526歩
今年はじめて流れ星をみた。比較的脚の長い流れ星だった。
流れ星は、塵などが大気圏に突入し燃えるときに光るもの。ほとんどは燃え尽きるけれど稀に燃え残ったものが隕石として地表に辿り着く。燃え尽きた場合も流星塵というごく小さい粒子となって落ちてくる。
星が流れる瞬間、ぼくはその輝きと目が合う。そして何かわかり合えたような気になってしまう。だからぼくはその流れ星のしあわせを願う。それだけで願いごとの時間は過ぎてしまう。
2月22日 10,304歩
ぼくが書く散文は、こころの中にみつけた灯火のようななにかを誰かと共有したくて書いている。具体的に共有したい誰かを想定しているわけではないけれど、どのような方が拾ってくださるのだろうと想像することはある。
ぼくはなぜ書いているのだろうと、ふと思うことがある。なぜ誰かと共有したいのだろう。書かなくてもたぶんぼくは生きることができるけれど、なにかを失った気分にはなるだろう。それが何なのか、いまはわからない。
2月23日 10,308歩
雪はひかりを反射する。冬の夜は街灯や月あかりだけでもずいぶんと明るく感じることがある。だから冬の夜に闇をみつけるのは案外難しい。
季節はすすみ徐々に夜は衰えていく。ひかりの季節がやってくる。でも、冬の夜の明るさと違ってそれは闇を伴う。太陽はどうしても白黒つけたがる。雪はすべてを白くしようとする。
2月24日 10,279歩
小さな駅舎で大勢の人が動かない電車を待っていた。代替の交通手段が乏しく、ほとんどの人にとっては待ち続けるか諦めるかしかなかった。ぼくは駅舎で待つことを諦めた。
快晴の空の下をどんよりと歩いた。いろいろな想いが巡っていた。この世界は不安定なものの集合体だから時々どこかが崩れてしまう。やがて電車が動き出しても、この世界はやはりどこか不安定に思えた。
2月25日 12,129歩
よく利用していたそば屋が今月いっぱいで閉店すると知り、最後を味わおうと店を訪れた。閉店三日前、いくつかのメニューは既に終了していた。好きだったかしわそばも注文できなかった。
あっという間の滞在の後会計を済ませた。もうここに来ることはないだろう。そう思い店を出ようとすると「またお待ちしています」と声をかけられた。そのまま店を出たぼくは、本当はその時振り返りたかったのだと思う。
2月26日 10,999歩
賑やかな雰囲気が好きだ。ぼく自身はひとりでいるのが好きなので、その中に入りたいわけではない。少し離れたところから、楽しそうにしている人たちのその雰囲気を感じているのが好きだ。
それはさみしいことだと思う。さみしい背中になれるのは素敵なことだ。さみしい背中は少しあたたかい。この季節、それがとても心地よい。
2月27日 10,568歩
駆け足の春が気温を一気に引き上げた。数日前までマイナス10度の中にいた身体は、そこから20度も上昇した世界に落ち着くことができない。静寂の季節はこうして突然終わりを迎えることとなる。
ぼくは失うことに慣れてはいるけれど、それでも日々少しずつは傷ついているのだろう。見上げると眩しすぎて、大切だった記憶は個体から液体へ、そして気体へと変化してゆく。
2月28日 11,453歩