街灯が笑っている。楽しくても悲しくてもひとは笑う。たぶん街灯もそうだろう。こんな夜更けにひとりで笑っている。ぼくは疲れた笑いを返すのが精一杯だった。どんなに笑ってもきっと何もかわらない。それでも笑う。それはこの世界を受け入れることに他ならない。ぼくたちの強さの根源はそこにある。
10月2日 10,895歩
踏切は攻撃か守備か。そんなことを考えていた。踏切に行く手を阻まれたときはやられたという気分になる。実際は守られているにもかかわらず。踏切自身は守る役割を担っていると自覚しているはず。そう思ってぼくは踏切に訊いてみた。「決められたとおりに動くだけだよ。そこには攻撃も守備もない。」答えはシンプルだった。ぼくには事象の片面しか見えていない。それが悲しかった。
10月3日 12,306歩
雨の一日、存じ上げなかった方の葬儀に出て存じ上げない在りし日の故人を偲んでいた。永遠に解けないパズルを解くのがぼくの仕事だからぼくに名前など必要ない。雨粒それぞれに名前がないのと同じように。
思うように歩けない日もある。体調だったり天候だったりあるいは時間がなかったり。それを嘆いても仕方ない。延々と続く暗い地下道を歩く日もあっていい。
10月4日 10,833歩
うさぎ雲を追いかけながら、この春まで暮らしていた海辺の町に来た。ここでたくさんのことばを紡いで、歓喜と絶望を繰り返していた。この町に眠っているぼくの回路。それを回収しようと思っていた。でもぼくを動かしていたその回路はそのままにしておこう。この町の海の青さをぼくは忘れることはないのだから。
10月5日 11,464歩
夕暮れが内包するさみしさのなかで、あかりがひとつひとつ灯りはじめる。それは福音であり決着でもある。足元は徐々に見えにくくなってくる。もともとぼくはどこに向かっているかわからないまま歩いている。はじめから道は昏いままだ。
見たくないものを夜は隠してくれる。だからひとは夜に素直になる。ぼくには素直なぼく自身が見えないまま生きている。
10月6日 10,802歩
どんよりした空の月曜日。ほんの少しの湿気が週末の熱量を記憶している。時間は連続しているものと信じ込んでいるぼくらは、切り替えるという行為に困惑する。電車はポイントに身体を揺らせながら進路を変えるけれど、ぼくの歩く道にはそれがない。きのうの道があって、きょうの道がある。連続しないそれらを正しく繋げられることができるなら、時間を超えることもできるだろう。ぼくらの背中を押すものを疑え。奴は巧妙にぼくらを追い詰めているんだ。
10月7日 10,737歩
星を眺めていると思っていた。長いあいだ飽きもせず、ひかりの粒をみているつもりだった。実際は星と星の間にある闇をみていた。そのことにふと気づいて、ぼくはなにかを描きたがっていることに気づいた。ぼくには絵心がないから、星と星をことばで結ぶ。そうしてできたたくさんの星座が押し入れからはみ出しそうだけど、誰とどうやって共有したら良いか、いまだにわからない。
10月8日 11,054歩
月がまばたきしている。ぼくは見て見ぬふりをして、まだ目覚める前の街を歩いている。まぶたに焼き付けたかったものは次の瞬間には消えてしまう。わかっていても目を逸らしてしまうのは、過去を書き換えたくないぼくのわがままなのかもしれない。
10月9日 13,610歩
落ちた花が朽ちようとしている。かつての輝きはないけれど、それが花びらであったことは一目でわかる。役割を全うしようとしているようにも思えるし、執着しているようにみることもできる。でもその花びらはそのようなこだわりはなにもなくて、花のかたちをしていた時の記憶だけがそこに浮遊しているのだろう。それはぼくの記憶の一部となる。世界は記憶でつくられている。
10月10日 11,319歩
そのビールは風の味がした。ぼくたちは毎日、何かを忘れ何かを思い出す。記憶の容量は変わらないから、その瞬間一番大切に思える過去の情景が風によって運ばれてくる。そんなバーだった。思い出すのは何もない一本道。あのときのぼくは無心で歩いていた。感情を持って歩く余裕なんてなかった。風はかすかに麦の匂い。酔いが醒めても、喉にひっかかる寂しさはそのままだった。
10月11日 10,999歩
通り雨は卑怯だ。とどまることもないくせにひとかたまりの印象と爪痕を残していく。残された側が、その一瞬の光と影をいつまでも追い求めてしまうなんてことに気づきもせず。濡れた服はいずれ乾くけど濡れた記憶は消えることがない。ぼくに記憶を残していった通り雨は、いつも週末の夜だった。
10月12日 14,794歩
丘の上から沈みゆく夕陽を眺めるとき、それを追いかけたいという気持ちにならないのはなぜだろう。暮れてゆく街並みを見ながら、ここにある無数のひとびとの営みを思う。そこに組み込まれるには自分を少し歪ませなければならない。必要なことでもあるし、逃げたくなることでもある。ぼくは暗くなるのを待つのが好きだ。解放される時が近づいている。
10月13日 11,852歩
影が長くなる季節。自分がどんどん遠くなってゆく。傾く太陽を背にしながらぼくの背中を見送っている。こうやって過去の自分を追い出していきながら、ぼくはどこに向かって変化しているのだろう。毎日同じ時間に開く電車のドアを、毎日少しずつ違っていくぼくが通り過ぎてゆく。
10月14日 16,102歩
晩秋の風のにおい。まだちょっと早いような気もするけれど。どんよりした重い雲が降りてきて、豆腐屋さんの幟を激しく揺すぶる風が吹く。冬へのカウントダウンはもうとっくに始まっていて逃れることはできない。雲の隙間にわずかの青空をみつけたら、こわばった筋肉が緩むような気がする。ぼくはもう少しだけ油断していたい。
10月15日 10,721歩
一面のひまわり畑の横を通り過ぎる。八月の花という印象が刷り込まれているから、朝夕が冷え込む十月に咲いているのをみるとほんの少し混乱する。
正しさを求めることはひとつの物差しに絶対的な価値を与えることだから、ぼくはできるだけその企みにはかかわらないようにしているけれど、それでも十月に咲くひまわりの正しさをわかりかねている。美しい景観には価値があるし花そのものにも価値がある。肌寒い風の中でひまわりの花はどんなことを考えているのだろう。正しさなんて関係ないような顔をして揺れている。
10月16日 12,551歩
酩酊の帰路を歩く。いつもの道なのに、途中にあるローソンが遠い。ぼくは忘れることも覚えていることも下手くそだから、この夜風の白々しさを記憶の深いところで掴み続けるだろう。振り返ってもそこに結果はなく、擬似的な永遠でつくられた優しさが少しだけ痛かった。
10月17日 12,448歩
枯葉舞う中を歩く。枯葉を踏む感触は心地よいけれどそれとは別の感情も湧いてくる。踏まれた枯葉はぼろぼろになり葉のかたちを失う。この夏を踏み潰しているようで少しだけさみしい気持ちにもなる。それは手放すための儀式のようであり、振り向かない決意のようなものでもある。ぼろぼろになってもそれはこの夏の記録なのだから、足の裏はその感触をずっと覚えていることだろう。
10月18日 11,119歩
朝から冷たい雨が降りつづいていたから地下道をひたすら歩いていた。峠は雪が降るかもしれないという。ぼくの中の大切なものとどうでもいいものが等しく冷めてしまいそうになる。そしてほんとうに大切なものが何なのか見失いそうになる。
夜になると風はさらに強まって、冬の歌を歌い始めた。
10月19日 10,237歩
週末の朝の公園。いろいろな人が歩いたり走ったり。犬を散歩させていたり。文字どおり老若男女がおなじ道の上にいる。道を共有するということは方向を共有するということだ。町中のほんの一握りだけど、いろんな人がおなじ方向を向いて、でもたどり着きたい場所はみな違っていてそれぞれの速度で進んでいる。あなたはわたしではないけれど、あなたの一部をわたしは共有している。
公園の周回路を歩いていると、いろいろな人が仲間に感じられて嬉しくなる。でもその喜びを共有する人はいない。
10月20日 10,593歩
夜の家路の頭上を飛行機が過ぎてゆく。女満別から丘珠空港へ向かう最終便。まもなく着陸を迎える機内を思い浮かべる。
この春までは機上から眺めていた光景をこうやって見上げている。あのころのぼくはしあわせでしたか。いまのぼくはどうですか。
10月21日 10,838歩
歓喜と寝不足。どんな理由であれ調子が狂う日はある。休みたくても休めなかったり自分ではどうしようもないこともある。揺るぎない日常があってこそ喜びや悔しさが匂いを放つ。天気は下り坂。それでもぼくに何か役割があるのなら、雨にぬれても歩くしかない。
10月22日 10,945歩
夜の電車。隣に座っていた若い女性がぼくの肩に頭を預けてきた。反対側の窓に映る姿は疲れ切った様子にみえた。こういう時ぼくはなんだか申し訳ない気分になる。せっかくの眠りを妨げないようにぼくは樹木になるよう努力した。ぼくが降りる終点までそれは続いた。
駅からの道。街路樹が風に揺れていた。ぼくの方が少しだけ樹木だったなと誇らしく感じた。
10月23日 11,228歩
一雨ごとに肌寒くなる季節。雨上がりの青空はなにか言いたいことを我慢しているような色をしていた。すれ違う人々もみな我慢していることはあるだろう。誰かが風船を割るようにその我慢が一気に世界に溢れ出したら、空はどんな色になるだろう。雨の日があって晴れの日があって。こころの中となにも変わりはない。
10月24日 11,262歩
木々の葉が落ちるといままで見えなかった景色が見えるようになる。空や遠くの街並みがむき出しになる。冬とはそういう季節だから、いままで緑に覆われていたひとのこころもむき出しになる。様々な色がそこにある。やがて足元が真っ白になるとそれらの色は一層際立って、ぼくはただ戸惑ってしまう。
10月25日 16,374歩
自転車に乗る練習をしている男の子をスマホで撮影している中学生くらいの女の子。オレンジ色が溢れ出した公園で柿色に染まった姉と弟の顔。ほんとうのしあわせってこういう時間を言うのだろうと思いながら通り過ぎる。ぼくの記憶には定着しないかもしれないけど、あの二人の記憶には残っていて欲しい光景。とある秋の土曜の夕方。いつか閉じられてしまう世界。
10月26日 10,434歩
公園の敷地内に体育館がある。選挙のときは投票所になるので、投票日の公園はいつもより少しだけ人が多くなる。投票を終えたと思われる老夫婦がひと仕事終えたような表情で歩いている横を通り過ぎる。どんよりと曇った秋の日曜。
ひとは一生のあいだにどれだけの選択をするのだろう。道は無数にあるというのに、ぼくは公園内の周回路を歩き続けていた。
10月27日 13,789歩
晴れたり雨が降ったり猫の眼のように変わる一日。天気雨のように感情も忙しい。遠い記憶が水たまりに映し出されて、ぼくはやっぱりそれを踏むことができない。また雨が降り出しても、どうせすぐ止むだろうと思うから傘をささない。いままでたくさん判断を誤ってきて、ぼくはまた青空に騙されようとしている。
10月28日 11,721歩
朝の陽に自分の影が長く伸びている。自分がどこか遠くに行ってしまいそうな感覚がある。それは決して嫌ではなくむしろ望ましい感覚。ぼくはぼくの支配から逃れたいのだろう。自由でありたいと願うぼくから逃げたくなるぼく。それもまた自由。自由は、自由を否定しないと感じることができないのかもしれない。
10月29日 11,915歩
野球の季節が終わろうとしている。あたりまえに存在していたものがなくなって大きな穴が空いた時、それをなにかで埋めようと考える。大きな穴をそのままにしていても別に不都合はないはずなのに。
さみしいと感じるのは何かを失うからではなく、そこに穴が生まれることによって得られる感情なのかもしれない。そんなことを考えながら、昔の失った恋を思い出していた。
10月30日 11,572歩
そういえば、奇抜な格好をしている人をちらほら見かけた札幌駅前。頭の中が日本シリーズでいっぱいだったからハロウィンということに気づかなかった。現実はいつだって二、三歩前を歩いていて、そのせいでぼくは季節の変化や節目を見逃してしまう。立喰蕎麦の匂いに導かれてしまいそうになりながら、ぼくだけのかぼちゃを探していた。
10月31日 13,679歩